Vol.8 毎日を楽しく!
2018.05.23
嬉しくなったり楽しくなったりすることは誰にでもあると思います。最近の私に関して言えば、友達とちょっと豪華な焼き肉食べ放題に行って楽しかったですし、新学期になって新しい友人ができたのも嬉しかったです。嬉しい、楽しいと感じる瞬間は本当にたくさんあると思うのですが、こどもたちは私たちが思いもよらないタイミングで嬉しさや楽しさを見つけてくれます。
Ecole libreに入ったばかりの頃のある雨の日、当時小学二年生だった男の子と一緒に家の中で絵をかいていました。しかし男の子はそれに飽きたようで、「外に出たい!」と言ってガレージの方へ行きました。雨が降っていたので傘を持って男の子についていき、男の子に傘を渡しました。すると男の子は屋根のない所へ出た瞬間「すごい!楽しい!」と言い出しました。外に出ただけだったので、「何が楽しいの?」と聞いてみました。その男の子は「傘に雨があたっていろいろな音がするのが楽しい」とのこと。この時本当に驚いたことを今でも覚えています。私は何も気づきませんでしたが、彼は私が当たり前だと思っていたことをあっという間に楽しさに変えてくれたのです。
他にこんなこともありました。当時小学五年生だった男の子二人と一緒に漢字の勉強をしていたときです。彼らは辞書を使って宿題で出された漢字の例文を調べていました。一般的な、右ページの右上から始まり、左下までいったら次のページに移動という見方の辞書だったのですが、その時彼らが調べていたページはこんな感じでした。
その時調べていたページです
このページの中のあることに彼らは驚き、こんな発見をした!と嬉しそうにしていました。皆さんはそれが何か分かりますか?…正解は大きな四角で囲まれている「産」の文字と、次のページの説明文の位置関係です。多くの場合、同じページ内に四角で囲まれた文字と説明文がのっていることがほとんどです。しかし、この「産」の文字は右ページの最後に四角で囲まれた文字が配置されていて、右ページに入りきらなかった説明文が左ページに書かれています。言われてみれば、これはあまりないことかもしれません。しかし、私たちが辞書を使っていてこのような光景を見たとしても、何も考えずそのまま辞書を閉じる…という流れになるのではないでしょうか。ここでもまたこどもたちは、私たちでは気がつかない、考えもしなかった「嬉しい!」という瞬間を見つけだしてくれたのです。
大学に入ってから、年をとるにつれてお金を使わなければ楽しくなくなってきてしまったな…という風に感じていました。これは、お金を使うことが楽しいというわけではなく、日常の中に存在しているものごとが自分にとっては取りたてるまでもない何気ないものになってしまい、お金を支払って食べ物や遊びを得ないと楽しさを感じなくなってしまったということです。しかし、こどもたちは日常のいろいろな瞬間に楽しさや嬉しさを見つけ、自分たちの生活を鮮やかなものにしていました。これは本当にすてきなことだと思います。その方が絶対毎日楽しいですもんね!
手形の大きさの違いを発見!大きさの違いをうまく使って絵を描こうと考え中…
ただ、私たちがもっと小さかった頃には、その瞬間が溢れていたのだと思います。年をとり、たくさんの経験積んだことで、そういった瞬間瞬間が自分にとっての当たり前となってしまったのかもしれません。これは少し寂しいことでもありますが、嬉しいことでもあるかもしれない!と考えています。こどもたちが私たちの気づかない楽しさや嬉しさに気づくことができるように、私たちもこどもたちの気づかない楽しさや嬉しさに気づくことができるのではないでしょうか。それは経験を積み、少なからず知識を得て、いろいろな世界を知った今だからこそ分かることかもしれません。そしてだからこそ、大人はこどもたちの気づかない楽しさや嬉しさの他に、その裏に潜む危険についても知っていると思います。
こどもは大人よりもその行動の危険に気づきにくいのだと実感したこんな例があります。これは私が経験したことではありませんが、実際に過去起こった出来事です。ある女の子が公園で螺旋階段状になっている遊具で遊んでいて、階段の手前からスタートして螺旋階段を駆け上がり、一番上までいったら滑り台を滑り降りるという一連の流れをいかに早くできるか、という遊びをしていました。その女の子は螺旋階段を出来るだけ早く駆け上がるために、こどもが通るのに充分に幅の広かった階段の出来るだけ内側を使おうとし、柵のついていなかった階段の端から転落してしまったのです。女の子は軽傷で済んだそうですが、この出来事はこどもが身の回りの危険に気づかず怪我をしてしまった一例であると思います。
こどもは楽しさを見つけ出す天才ですが、まだ自分や周りに対する注意力や危険に関する知識が充分でないと言えます。大人が干渉しすぎてこどもの自由が妨げられてしまったり、楽しさが台無しになってしまうことは良くないとは思いますが、やはりある程度私たちが日常の危険やこどもたちの興味関心に気をつけることは必要でしょう。身長の違いゆえに見える世界が私たちと違うかもしれない。様々な物の身体への影響が私たちとは違うかもしれない。そういった目には見えないいろいろなことに気を配ることは重要なのではないかと思います。
楽しさや嬉しさを見つけ出すこどもの力がどんなに素敵かを、そして同時にこどもたちの楽しさや嬉しさに潜んでいるものがどんなに危険かを意識し、こどもたちと、こどもから少し大人になった大学生が、お互いの楽しい!嬉しい!を共有できたら本当にすてきですね!
(たかばたけ)