「ちきゅうすくい」が出来るまで①
2018.02.13
西千葉の皆さん、お元気ですかーーーーー?
寒い日が続いてますが風邪などひいてないですか?
今回と次回で「ちきゅうすくい」がどうやって誕生したのかをお話ししたいと思います。
それにはまず「呼吸」についてお話させて頂きます。
わたくし、カンサクは2003年の1月から2015年の7月まで12年間緑町で「呼吸」ってヘンテコなお店をやっておりました。
場所はJR西千葉駅を西友側に降りて、西友を右に曲がりずーーーーーーっと7分くらい進むと左手にある結構年季の入った建物でお隣は千葉大生の聖地「甘太郎」。
現在は「純喫茶シノダ」が入ってまして、いつもボリュームを上げてご機嫌に音楽聴いてると隣から甘太郎の店主が「うるせー!静かにしろ!」と怒鳴り込んでくるような昭和風情漂うお店でございます。
今は無いんですが当時は目の前が「亀の湯」という銭湯でして、お客さんが途中で風呂に入りに行くという素晴らしいシチュエーションでした。
そこで何をしてたかと言いますとお酒とコーヒーとちょっとしたフードを出しながら、ライブ・映画上映・ヨガ・俳句・写真展・ラジオ収録などありとあらゆる文化活動にいそしんでました。
呼吸をやる前はお金を貯めてはバックパッカーしながら安宿を転々とし、タイ・ラオス・カンボジア・オランダ・スイス・ドイツ・チェコ・ポーランド・フランス・台湾・韓国・アメリカ・メキシコをプラプラしてました。
自分でやる店は食べ物も出したいし、誰か一人くらい手伝ってくれる人いないかなーと考えてたら、たまたま後輩から面白いやつがやりたいって言ってると情報をくれたので即採用。
その相方は現cafeSTAND店主の塚本耕平氏。
即採用って言ってもお互いどんな奴か知らないのに一緒に仕事するなんて危険だなと思った僕は当時ギリギリ出せるお金をかき集めて3週間タイとラオスとカンボジアに二人旅に出たのでありました。
知らない土地に3週間も居れば、お互い良い所悪い所もすぐ分かるので今後一緒に仕事するにはもってこいだなと当時は思ってましたが、後にも先にもそんな動きをする人たち見たことありませんw
オープン前の「呼吸」が一番イカしてる動きしてました!
そのお陰でオープンから耕平が辞める3、4年は色んな事がありながらもエッジが効いた店の礎が出来ましたので決して無駄じゃなかった、むしろ宝でした。
その後のスタッフは毎曜日変わる千葉大生の年もあれば、カンサク一人の年もありましたし、ランチやってた時もあれば夜だけの時もありました、定休日も金土以外は色んな曜日に毎年設定してて一般の飲食店としては全くセオリー無視のアナーキーなやり方でした。
お客さんも勿論エッジの効いてる人達ばかりで西千葉のどこにこんな人たちが居るのか不思議なくらい怪しい光に集まってきました。続く。