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第十図「秘密」

2017.09.08

私は、教授の研究室〈=アトリエ〉の前にいる。
ノックは、すでにした後だ。
思えば、これまでのことはこの扉をノックしたところからはじまったのだ。初めてここに来たときのことを思い返すと、なんだかずいぶん長い道のりを歩んできたような感じがする。
先週、響子さんと〈地下廊〉で偶然出会って、図らずも課題を達成する前に教授の秘密を突き止めてしまった私は、この扉が開けば教授と対峙することになる。

差し当たって、教授への〈報告〉には三通りの選択肢がある。
一、 響子さんのことをはっきり伝える。
二、 響子さんのことをそれとなくほのめかす。
三、 響子さんのことはまったく伝えない。

きれいさっぱり打ち明けて楽になりたい気もするし、もう少しの間だけ――せめて私のパンフレットが完成するまでは――そっとしておきたい気もする。
扉の向こうから教授の足音が聞こえてきたので、私はそこで強制的に思考を停止させる。悩んで迷っていたら、話せることまできっちり話せなくなってしまいそうだから。
この後の展開は、神様が知っているなら聞いておきたいくらい、私にも全然、想像がつかない。丸投げに近いのは百も承知で、数秒後の自分の瞬発力と判断力にすべてを委ねようと思う。
――うまくやってね、すぐ先の未来の私…!
ガチャリ。と音を立てて扉が開き、教授が部屋に迎え入れてくれる。
私はいつもより深く息を吸ってから部屋に入り、いつものようにスケッチブックを先に手渡す。
「珍しいね」
教授が覗き込んだ画面には、〈作品〉の数々が浮かび上がるように展示されている、ほの暗い空間が描かれている。
「屋内の絵を描いたのは、初めてじゃないかい」
「はい…。大学に入る前もずっと外の景色ばかり描いていたので、いざ屋内の空間を描いてみたら、遠近感というか、奥行きを出すのが難しかったです」
「慣れていないのが一目でわかるもの」教授はなぜか嬉しそうだ。「君にしては、『ヘタウマ』の部類に入るかな」
「パンフレットには、載せられないですね」
出来栄えに苦笑して見せるが、失敗したとは思っていない。今回の絵は、上手い下手ではなく、響子さんの開いたお店を教授に見せられることに意味があるのだ。
「統一感のある作品にしようと思うと、ね」教授は穏やかに私に同意する。「でも、いままでの絵と比べると、苦しみながら懸命に描いたからか、力強さがあるね」
私が絵に込めた熱量もちゃんと汲み取ってくれる教授に対して、私も控えめに胸を張る。
「これはこれでいいかな、って。描き直そうとは思いませんでしたから」
「そうだね。絵は、上手ければいいってものでもないからね。それはそうと、ここは何のお店なんだろうか。見たところ、どこかのアトリエみたいだけど…」
話がそこで途切れなかったことに私は安堵する。絵に託した私の〈想い〉がどうにか伝わったのだ。と、思うことにする。
「画廊、でした。〈地下〉にある〈画廊〉なので、『地下牢』とかけて〈カタコンブ〉っていう名前だったんですけど」
「でも、『カタコンブ』っていうのは、牢獄ではなく、たしか『地下墓所』のことだったよね」
教授は先週の私と同じ疑問を口にする。
「はい。そうなんですけど、名前の通り、けっこうこだわりのあるお店で…」
それから私は、〈地下廊〉のことを教授に説明した。画廊主さんの気に入った〈作品〉が「地下牢」さながらに「幽閉」され、「保釈金」を払って「釈放」させる買い手が現れなかったらそのまま「埋葬」し、「鎮魂」されるのだ、と――。
「…なかなかコンセプチュアルなお店じゃないか。となれば、そこに並ぶ作品も前衛的だったのかな」
「はい。おもしろい〈作品〉がたくさん置いてありました」
教授の〈アートテクチャー〉の企画書(=レジュメ)も置いてありましたよ、とはさすがに言い出せないので、お店の情報を小出しに伝えていくことにする。
「そこの画廊主さんは、ちょうど教授くらいの年齢の女性で」
「へえ」
それだけの情報で「まさか…」とは思わなかったにしても、教授は興味を惹かれたように眼を細める。
「最近まではずっと美術館の学芸員をされていたらしいんですけど、思い立って画廊を開いたんだそうです」
私が素知らぬフリでほのめかすと、動揺、というには大げさだけど、懐疑的、となら表現してもよさそうなしわが教授の眉間に寄る。
でも、私から開示するのはここまでだ。あとは、教授に聞かれたことにだけ答えよう。数分前の私に選択を委ねられた現在の私は、この先を教授に委ねることにする。

――その人はどうしてまた、あの街でお店を開いたんだろう。

そんな核心に迫るような質問を待ってはみるものの、教授は〈地下廊〉のスケッチにぼんやりと目を落とすばかりで一向に口を開こうとしない。ひょっとしたら、教授の知っている当時の響子さんから、年月を経た現在の響子さんの姿をイメージしていたりするのだろうか…。
聞いてくれたら、なんでも答えるのに――。
教授と響子さんの話に、第三者である私は自分からおいそれとは踏み込めない。二人が長きに渡ってそれぞれの胸に抱え込んできたものに、私が軽々しく首を突っ込むべきだとは思えないからだ。
芸術活動の厳しさと恋愛関係の果敢なさを味わい、恋人としての袂を分かった教授と響子さんの二人ともが、今もなお芸術関係の仕事に従事している。私はそれだけでもそれとなく伝えたいのだけど、いつになく歯切れが悪い教授には歯がゆさを感じるばかり。
――聞くべきか、聞かざるべきか。
そんな風に思っているのだろうか、どこか煮え切らないような様子でスケッチブックの絵をさかのぼりはじめた教授に私が業を煮やしはじめたところで、図らずもその糸口が見つかった。
〈みかづき書房〉を描いた絵が見えた瞬間、この間〈地下廊〉で聞いた響子さんのセリフがフラッシュバックしたのだ。

◇…地下牢〈カタコンブ〉…◇

「そうよー。私も描くの、手伝ったんだから!」

◇…◇

響子さんが描くのを手伝った、ということは、教授もきっとそこに関わっているはずだ。

◇…教授の研究室(=アトリエ)…◇

「まだ、あったんだね…」

◇…◇

それに続けて、〈みかづき書房〉のスケッチを見せたときの教授の感慨深そうな姿も脳裏に甦り、ふたつの点と点が線になった。
教授と響子さん、それに当時の〈アートテクチャー〉の活動を結びつけるのは、その三日月の絵に違いない――。
そして、教授と響子さんの恋愛関係については立ち入りにくい私でも、〈空間デザイン〉科のゼミの教授と生徒という間柄であれば、訴えかけることはできる。教授と響子さんの間を美術作品(〈アートテクチャー〉の企画書)がまだつないでいるとするなら、私と教授を結び付けているのもまた美術なのだ。
「この、〈みかづき書房〉の三日月って、まさに教授の〈アートテクチャー〉じゃないんですか」
思いがけず確信じみた口調になってしまったことに構わず教授の顔を真っすぐ見据えると、観念したような柔らかい笑みがそこに浮かんだ。
「そうだね。白状しよう」教授はやれやれ、と首を振る。「その三日月の絵は、僕が描いたんだ。それこそまさに『ヘタウマ』だったから、自分で言い出すのは照れがあってね」
「パンフレットには、載ってなかったですもんね」私はようやく軽口を叩くことができた。そのまま勢いに乗って布石を打つ。「こういう、外壁に手書きでペンキ絵が描かれているようなお店って、最近でもあんまり見ないですよね」
「そうだね、まだそこまで、見かけないかもしれないね」
教授はその後に続く私の言葉を予見しながら、相槌を打ってくれる。
「今だったら」私はつぶやくように言う。「できるんじゃないですか。〈アートテクチャー〉として、先生に作れる建物があるんじゃないですか」

かとうかいと
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1986年、東京都生まれ。リベラルアーツを標榜する大学在学中に小説を書きはじめる。卒業後は国立大学付属美術館や私立大学図書館などで働きながら作品を書き溜めたのち、エンターテインメント団体Coochにおいて伊藤カカト名義で第一回連動企画作品〈推定容疑者〉シリーズに参加し、〈ミス・クリミノロジーの不埒な実験〉を上梓。その後も純文学やミステリー、ファンタジーなどジャンルに囚われない創作活動を続けている。web:https://note.mu/mekkemon2017

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