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第九図「ギャラリー〈地下廊(=カタコンブ)〉2」

第九図「ギャラリー〈地下廊(=カタコンブ)〉2」

2017.08.10

「その、『ある人』っていうのは、私が知っている人なのかしら?」

当然の問いを返してきた画廊主さんに対して、私はうまく言葉を紡げない。単刀直入に名前を告げてしまうべきか、それとも美術専門学校のくだりから外堀を埋めていくか、あるいは言葉で説明しようとせずに向山教授の存在を伝えるには――。
これまで教授への「報告」の際に一も二もなくスケッチブックを先に渡してきた私は――論より証拠、だ――さっき見せた自分の〈作品〉に続いて教授のパンフレットを取り出す。そこにはきっと、二人の思い出の場所がいくつも描かれているはずなのだから。
「これは、その人が作った物です」
画廊主さんの目が見開かれる。それから無言で受け取ったパンフレットを開く彼女に対して、私は教授のことではなく自分の課題について紹介する。
「私がパンフレットを作っているのは、この街の現在の姿を絵と地図に描き起こして、その人がそこに描いた記憶の中にある景色を〈アップデート〉するためなんです」
そこまで伝えてしまえば、もう後戻りはできない。
固唾を呑むことすら我慢しながら様子を見守っていると、〈作品〉を噛みしめているのか、それとも何かを受け止めようとしているのか、じっと紙面に目を落としていた画廊主さんはやがて、ゆっくりと口を開いた。
「アップデート…か」言葉の響きを確かめるようにつぶやく。「…そうよね、あの人のこの街での時間は、あの頃のままで止まってるもの」
「あの人」――。
画廊主さんが教授をそう呼んだ瞬間に彼らを結ぶ接点となった私は、その先を促すようにつぶやき返すことしかできない。
「あの頃…」
ふー、と長めに息をついた画廊主さんは、自分が「響子」という名前であることを名乗ると、こう付け加えた。「長くなりそうだから、紅茶を淹れようかしら」

「あの人と私がこの街に住んでいた頃、美術界は現代アートへの転換期にあって、新しいことをやろうって機運が高まってたのよね」
響子さんは、いくぶん遠い目で当時のことを述懐する。
「そこで、あの人が選んだモチーフが『街』だった」
それから、響子さんの視点から教授がかつてこの街ではじめようとした〈アート・テクチャー〉の話を聞いた。
――この二十年でテクノロジーが進化して一気に世の中が変わったところを見たら、文化的な啓発を促そうとするよりも、経済的な発展に寄与する〈街興し〉に絡めてアプローチしたほうがよかったのかもしれない。わかりやすい付加価値があったほうが、人の心を動かしやすいってこと。
でも。と、響子さんはそこで声色を変えた。
――美術史を紐解けば、最初は批判的に捉えられる新しい絵画様式が徐々に支持を得ていくのがアートでもある。アートの名のもとに芸術活動を行う以上、相手に受け入れてもらおうと安易におもねってしまうのも、文字通り「美学」に欠けるわよね。
話を聞いていると、「縁は異なもの味なもの」という言い回しだけでなく、響子さんの話し方が教授の語り口に似ていることにも気がつく。どうやら教授の口調は、大学で教鞭を振うようになる前に確立されていたらしい。
――私がこの画廊〈カタコンブ〉を開いたのも、その芸術活動の一環よ。作品の価値なんて、個々人で判断すればいい。私は、私がいいと思った物、私だけしかいいと思わないような作品を展示したくなったの。
「何か、きっかけがあったんですか」
〈埋葬〉、〈釈放〉、〈鎮魂〉――。
この〈地下廊〉のコンセプトを思い出しながら、私は聞いてみる。
――美術館で学芸員(=キュレーター)をしていたときに、フランスの小さな田舎街に行ったことがあったの。そこに、その街の景色を描き続けているおじいちゃんがいてね。休みのたびに国内をあちこちまわって絵を描いて、そこの風景が気に入ったから移り住んだって言うの。
――絵を見せてもらったら、素朴で純朴で牧歌的で、その街を選んだわけが一目で伝わってきた。モチーフと作風、それに描き手の人生観もが合致した〈作品〉って、もう無条件に美しいのよね。時流に合わせて作風を変えることで商業的に成功した芸術家も数多く見てきた私としては、芸術観を揺さぶられちゃって。
――それで、個人的に絵を買わせてほしいって頼み込んだの。でも、お金を出すっていくら言っても聞いてもらえなくって。プロの芸術家じゃないし、売ってしまったら「わしだけの芸術」じゃなくなる。どうしても欲しいなら、タダでやるよって。
「それが、これなんだけど」と響子さんが指し示してくれた絵は、お店に入ったときに私の目に留まった風景画だった。
印象派風のぼかしたタッチで描かれた田園風景は、ありふれているといえばありふれていた。しかし、誰もが描きたがりそうな風景画には、誰にも表現することができない〈味わい〉が滲んでいた。「その場所」と決めた土地に身を埋めてまで描き続けるからには、その人の〈想い〉――響子さんの言い方を借りれば――〈魂〉が宿っている。
――絵っていうのは、画家への理解を深めれば深めるほど、地域性と切り離せなくなっていくの。たとえば、ピカソはスペイン人だけど、フランスで絵を描いた。誰が、どこで、何を描いたか。美術史ではそこが焦点になる。職業柄、私はそれを頭では理解していたはずだけど、小さな街の景色に惚れ込んで住み着いたその人に会うまで、肌感覚では実感できてなかったの。
「だから、この街でこのお店を…」
「ええ。魂を注ぎ込まれた作品たちを私がこの手で葬るには、この街じゃないと、と思って。私には、ここに戻る責任があったから」
「責任…ですか」
「そう。〈アート・テクチャー〉計画が頓挫してしまったときにね、私、あの人に言ったの。『私たちは変えられなかったけど、二人でこの街の変遷を見守っていこうね』って。それが、この街を一度でも変えようとした私たちの務めでもあると思って」
――でもね、結果的にその言葉が彼を縛りつけたの。街はここに在り続けているけど、私たちの仲が続かなかった。「二人で」この街を見守ることができなくなったとき、私がここに残ったのだとしたら、彼は出ていかなければいけなかった。彼が帰ってこないのだとしたら、私がここに戻らなきゃ。
そこまで話すと、響子さんは手元の紅茶を口に含んだ。
この街に戻れなくなった教授とこの街に戻ってきた響子さん――、二人は同じ過去を背負い続けている。何年も、何十年も…。おそらく当初は――この〈地下牢〉になぞらえれば――「枷(かせ)」のように感じられていたはずのその過去も、ここまで共有してきているのなら二人の「絆」になってもいいのに――。
「あ、〈アート・テクチャー〉といえばさ」そこで響子さんが雰囲気を変えるように明るい声を出す。「あの人が当時作った草案や企画書(=レジュメ)も、この店に保管してあるのよ」
「え、ぜひ拝見したいです!」彼女と同じトーンで答えたところで、疑問が浮かんだ。「…それも、ここに〈埋葬〉するつもりなんですか?」
「うーん、どうかな。あの人のかわいい教え子さんがもらってくれるって言うなら、〈保釈金〉なしで〈釈放〉してもいいけどね」
不敵に笑った響子さんに対して、二人が過ごしてきた時間の長さと重さを想像した私は激しく首を振ることしかできなかった。

そうして、向山教授がこの街に残した浅からぬ因縁を知った私は新たな難題に直面した。
――さて、どうやって教授に報告したらよいものだろうか。
それこそ、言葉で説明しようとせずに響子さんの想いを伝えるには――。
(やはり、論より証拠、しかない)
そう思った私は、いつか〈みかづき書房〉の店主さんに伺ったときと同じセリフを響子さんに告げる。

「このお店を、描かせてもらっていいですか」

かとうかいと
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1986年、東京都生まれ。リベラルアーツを標榜する大学在学中に小説を書きはじめる。卒業後は国立大学付属美術館や私立大学図書館などで働きながら作品を書き溜めたのち、エンターテインメント団体Coochにおいて伊藤カカト名義で第一回連動企画作品〈推定容疑者〉シリーズに参加し、〈ミス・クリミノロジーの不埒な実験〉を上梓。その後も純文学やミステリー、ファンタジーなどジャンルに囚われない創作活動を続けている。web:https://note.mu/mekkemon2017

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