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vol.16 殺人者はいかに誕生したか

2017.04.06

殺人者はいかに誕生したか 「十大凶悪事件」を獄中対話で読み解く
長谷川博一 著
2015年 新潮文庫

対岸の火事ではない

みなさんは、「黒子のバスケ脅迫事件」をご存知だろうか。2012年10月から発生した、漫画「黒子のバスケ」(集英社)の作者や作品関係各所を標的とした一連の脅迫事件である。作者の母校で不審物が見つかったのを皮切りに、数多くの企業やイベント会場が脅迫され、イベントの中止等が相次いだこの事件。容疑者である渡邊博史(現在は受刑者として服役中)は2013年12月に逮捕された。

大抵このような事件が報道されると、自分に直接の関わりがないと思うことが多いだろうし、「物騒だな」とか「なんでこんなことをするのかしら」というような感想を抱きながら目にした後、時が経てば忘れてしまうものなのではないだろうか。わたしにとってのこの事件も例外ではなく、「そういえばそんなこともあったな」というくらいの記憶しかなかった。しかし、何がきっかけか、インターネット上で彼の最終意見陳述を目にしたことで、その印象は全く異なるものとなる。

彼の最終意見陳述では、簡単に言えば、彼がなぜこのようなことをすることとなってしまったのかについて語られている。彼曰く、彼が事件を起こすこととなった遠因が親による虐待、そして小学生の時分に遭ったいじめにある、ということなのだが、少なくともわたしが読んだ限りは、非常に明晰で説得力のあるものとなっていた。

(彼による彼自身の分析に興味のある方は、記事及び著書をご覧いただきたい)

仮に彼の語った通り、虐待やいじめというものが事件の遠因となっているとしたらどうだろうか。虐待やいじめのニュースは尽きることがないし、メディアで扱われているのが氷山の一角だとすれば、彼のように、何がしかの事件を引き起こす因子を抱えてしまっている人は、社会に一定数いるということにもなりかねない。それに、既に起こってしまった他の事件の犯人に関しても、幼少期に虐待やいじめのような経験をしているケースが結構あったりするのではないか。とすれば、こういった「事件」というものは、ある意味では非常に身近で、自分が関係してしまう可能性が十二分にある、ということにもなりはしないだろうか。

このようなことを考えながら、他の事件について調べていく中で出会ったのが、衝撃的なタイトルの本書だった。著者は刑事事件の心理鑑定を数多く手がけてきた臨床心理士であり、本書は彼が凶悪犯罪者とのコミュニケーションを重ね、向き合った結果得られた内容についてまとめられたものとなっている。タイトルに「殺人者」とあるように、凶悪な殺人事件の犯人について取り扱われているので、内容は非常に重苦しい。そして、詳細は本書に委ねるとするが、犯人たちの置かれていた家庭環境がなんとも凄絶でやるせないものだったか、ということが見えてくる。

生まれたばかりの赤ん坊に人が殺せるだろうか。また、そもそも人を殺すような動機を持っているだろうか。どちらの問いに対しても否、と答えることができるのではないか。このように考えると、凶悪犯罪の犯人が、最初から「凶悪」な「犯人」だったわけではない、という可能性があるということになる。本書を読む際、自分がどのような環境を享受して幼少期を過ごしてきたのかを思い起こしながら、犯人たちの極端に痛ましいバックグラウンドに思いを馳せてみると、犯人たちがいかに過酷な、如何ともし難い状況に置かれていたか、転じて、親・保護者に代表される重要な他者というものが、人の発達においていかに重大な意味を持つかを思い知らされる。そして、犯人たちが自分たちと同じ人間であるということにも、改めて思い至るのではないか、と思う。

もし仮に、自分の幼少期に、彼らと同じような環境に置かれていたとしたら。友人や知人に、大変な幼少期を過ごした人がいたとしたら。思い巡らせ始めると、重苦しい気持ちになることは間違いない。が、「対岸の火事」だと思っていたことが、実はそうではない、ということに気づかせてくれる良書として。そして、逆説的ではあるが、こどもにとっての親や保護者の意味というものを考えさせる一冊として。一度手に取られてみてはいかがだろうか。

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