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第三図「報告1――〈浪漫〉――」

2017.02.17

――そういえば、地図も作るんだった。

〈街と景観〉ゼミまでの空き時間に、私はざっくりと地図の下書きを進めている。
地図なら、〈空間デザイン〉科の授業の課題で作ったことがある。そのときはちゃんと提示された図法に則って制作したけど、今回描くべき地図はそこまで厳密に作る必要はない。なにしろ、架空――というか非公式――のパンフレットだ。どこに配布されるわけでもなく、極端に言えば教授だけが読み取ってくれさえすればいい。
それならば、地図制作の常識からは少し離れて、直線や曲線の角度に囚われないものを作ろう。縮尺も私の感性に依る。体感で長く感じた道は長く、短いと受け取った記憶があれば短くして、ピカソの絵のようにデフォルメした地図を描くのだ。
向山教授のパンフレットの地図とも照らし合わせながら下書きを続けていると、歩いた街並のイメージが頭に甦ってきて、教授が記憶の限りに描き出した景色も現場まで確かめに行ってみなければ、という気になった。

この中の誰も、教壇に立つ教授と私の「業務委託」関係を知らないのだ。
そんなことを考えながら受けていたゼミ講座が終わり、クラス全体に解散を告げた教授からの目配せを受ける。
教室から三々五々帰っていくゼミ生たちを尻目に教授の研究室(=アトリエ)に向かう私は、いよいよ最初の「報告」に臨む。
私の絵を見てガッカリされたらどうしよう、ダメ出しされたらどうしよう――。
そんな不安が頭をよぎるけど、「いい作品を作ろう」とせっかく新たにした決意を自らくじくのを勿体なく思った私は心を強く持つ。作品どうこうより自分に自信を持つのだ。スケッチしていたときの私はよっぽど生き生きしていたじゃないか――。
自己暗示をかけるのと並行して、私は〈依頼主〉に責任転嫁もしておく。あくまで教授が〈アップデート〉の担当者に私を選んだのだから、気に入らないからって文句をつけられても困る。何か言われたら、政治家ではないけど、逆に教授の任命責任を問うてしまえばいいじゃないか…!

アトリエの前、ノックと返事の後に扉を開けた私は教授のもとにまっすぐ歩み寄り、卒業証書を授与するみたいにスケッチブックを両手で差し出した。
その中には、私が描いてきた一枚きりの〈風景画〉が収められている。胸を張るほどの自信はないけど、私は自分の感性と力を示すしかない。
教授が表紙を開くと――ドクン――鼓動が一拍、高鳴った。
街の一角にあった交差点を描いたスケッチを見た教授は、その目を細めた。心なしか、この間〈浪漫〉で教授の年賀状を見せたときのマスターの眼差しと、少し似ているような気がした。
「これはまた、ずいぶんとユトリロに寄せてきたね」
肯定とも否定ともつかない教授の言葉が、なんだか私を落ち着かせた。その物言いが――「業務委託」関係らしく――どことなく仕事上のやりとりっぽく私の耳に響いたからかもしれない。
「先生に言われて意識しちゃったのもあるんですけど、それも自分らしさかと思って」
「いや…とても、いい出来だと思うよ。うん、なかなか味がある」
勿体つけるような間の後、とにかくほめてもらえたことに胸をなで下ろした私は、思わず教授に本音を漏らしてしまう。
「なんとなく、あの街を実際に見て回ったら、ホントになんとなくですけど、私が〈ポートレート〉に描いたスケッチとイメージが重なったような気がして」
「そうだろう?君なら分かってくれると思ったよ。千早さんの目にあの街がどう映るのか、見てきてもらいかったんだ」
そう言って、再び画面に目を落とした教授はそれきり少し黙り込んだ。
私のスケッチを改めて吟味しているのか、それとも思い出の景色が脳裏にオーバーラップしているのか…やがて顔を上げた教授に思い出したように問いかけられる。
「そういえば、〈浪漫〉のカリーライスはどうだったかな」

◇…喫茶店(浪漫)…◇

「ごちそうさまでした」の後、もちろん私はカレーの感想をちゃんとマスターに伝えた。
「お口に合ったんなら、なによりだよ。昔はコーヒーのほうを売りにしていたんだけど、今やカレー屋みたいなもんだからね」
「あ、もちろんコーヒーもおいしかったです」
そう付け加えるも、先にカレーのことをほめてしまったことは取り返せない。
「もう女房もいないし、コーヒーだけにしてカレーはやめようかって毎日のように思ってるんだけど、いざカレーを火にかけないとなんだかそわそわするんだよ。コーヒーとカレーの混ざった匂いを嗅がないと、なんだか一日がはじまらないんだ」
「こんなおいしいカレーを食べられなくなっちゃうなんて、私が常連さんだったら絶対に猛反対します!」
「そう言ってもらえるとうれしいよ。なんたって、コーヒーを淹れて、カレーを煮込んでるうちに過ぎてった人生だからね」

◇……◇

「おいしかったです。とっても。先生の通っていたときから、味も変わってないみたいです。ちなみにマスターは普通にカレーって呼んでましたけど」
「そうか、そうか。それはよかった。久しぶりに食べたいもんだなー」
――食べに行ったらいいじゃないですか。
安易にも口から出しそうになった言葉をぐっと飲み込み、その代わりに「年賀状が来るだけで店には来てくれないって仰(おっしゃ)ってましたよ」と言うと、ははは、と教授は苦々しく笑う。
「あ、お店に届くお便りはお店で保管していたようで、先生が送った年賀状や暑中見舞いのお葉書も見せて頂きました。やっぱり、絵を描かれるんですね」
「本当かい」教授はいくぶん大げさに驚いてみせる。「それはまた恥ずかしいなぁ。まさか取って置かれているとはね」
「お便りは、なかなか処分しにくいものですよ」
「そうか、そうか。それもそうかもしれないね」
私と教授の間では珍しく、スムーズに会話が成立していく。
「教授がよくお店に来ていたことをマスターも憶えていました。なんでも、奥様と親しくされていたとか」
「そうそう、おかみさんがずいぶんとよくしてくれてね」
「申し上げにくいんですが」伝えないわけにもいかない。「マスターの奥様は去年、亡くなられてしまったそうです」
「…そうか」短い沈黙。「どうりで、今年は年賀状が返って来なかったんだなぁ」
その感傷が深まってしまう前に、会話の断片をつなげていく教授の語り口を真似るように私は報告を続ける。
「どうりで、お嬢ちゃんがお店に寄越されたわけだ、とマスターは仰ってました」
教授は声にならない苦笑で応じる。
「あと、交際していた女性を連れてよく店に来ていた、とも」
「やっぱり」苦笑いをはにかむような微笑みに変えた教授は、観念したようにつぶやく。「恥ずかしい話を聞かれてしまったようだね」
「私が〈浪漫〉に行って、先生のことを聞けば、それはそうなりますよ」
「いやはや、そうなんだけどさ…こう、てらいなく告げられてしまうとさ」
「言いにくそうに言ったほうが、よかったですか」
ここぞとばかりに意地悪を言ってしまったのは多分、親近感を抱いたから。気恥ずかしかったのは、描いてきた絵を見せる私だけでなく、旧知の――しかも行かなくなって久しい――お店に私を遣(つか)わした教授も一緒だったのだ。
「それと、その人と一緒に魔女が読むみたいに分厚い建築関連の本を読んでいたって」
「そうだよ、そうだ。そうだった。そんなこともあったかなぁ」
それを受けて、私は単刀直入に問うてみた。
「建築が、ご専門だったんですか」

かとうかいと
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1986年、東京都生まれ。リベラルアーツを標榜する大学在学中に小説を書きはじめる。卒業後は国立大学付属美術館や私立大学図書館などで働きながら作品を書き溜めたのち、エンターテインメント団体Coochにおいて伊藤カカト名義で第一回連動企画作品〈推定容疑者〉シリーズに参加し、〈ミス・クリミノロジーの不埒な実験〉を上梓。その後も純文学やミステリー、ファンタジーなどジャンルに囚われない創作活動を続けている。web:https://note.mu/mekkemon2017

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