アップデート
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第二図 「散策――純喫茶〈浪漫〉――」

2017.01.15

大いなる好奇心とささやかな懐疑心を胸に、肩には向山教授の作ったパンフレットとA5サイズのスケッチブックの入ったトートバッグを携えた私は、郊外の街へと向かう電車に揺られている。都市部を離れて駅と駅の間隔が長くなっていくにつれて、教授からぽつぽつと付け加えられた「依頼」が脳裏に甦る。

◇…向山教授の研究室(=アトリエ)…◇

――交通費は必要経費として払うし、飲み食いできるくらいのお小遣いも出すからさ。
――ひとりで行ったほうが感じるものがあると思うから、それを表現してほしいな。
――行って帰ってくるたびに〈作品〉とともに報告してくれるとありがたいんだけど。

◇……◇

教授の口から改めて〈作品〉という言葉を聞いたときに――(そうだ、そうだ)――私ははっきりと認識した。教授のパンフレットは紛れもなく〈作品〉なのだから、私の作るものもまたれっきとした〈作品〉になる。しかもそれは独りよがりなものではなくて、その街の景色を私なりに切り取ることができれば、教授の頭の中にある街並が〈アップデート〉されるのだ。
――人の思い出(=イメージ)を刷新する。
そんな〈仕事〉にやりがいを見出した私の胸は、目的地を目前に、武者震いのようにはしゃいだ。
駅のホームを降りて改札を抜ければ、目の前には緑豊かな国立大学のキャンパスが待ち受けていた。自然と足が向いた大学沿いの並木道を流し歩いてみるや――意外や意外に――軒を連ねるお店のバラエティもさることながら、画題(=モチーフ)や〈街と景観〉ゼミの研究対象としての示唆に富んでいる。
建物も看板も古ぼけたオールドファッションな中華料理店や個人経営のゲームセンターがあるかと思えば、ストライプ柄のルーフと歩道側にぐっと突き出すテラスの付いたレトロモダンなカフェもあって、さらに進むとガラス張りの尖塔のようなニューウェーブ感のある建築様式の教会が現れた。
それから角をいくつも曲がって、私はあてもなく街をめぐった。教授から預かったパンフレットの地図には頼らず、見覚えのあるような風景に出くわしたときだけ立ち止まって裏面のスケッチと照らし合わせてみた。
やがて私は、ある交差点に辿り着いた。
角にあるベル付きの小さな時計台と西洋風の外灯、それに遠目からは洋館のようにも見える建物に寄り添う真っ赤な電話ボックスがいい味を出している。どこかの森から引っこ抜いてきたような、枝分かれならぬ「幹分かれ」している木も描きがいがありそうだ。交差点の向こうの路地には奥行きもあって、駅前と住宅街とを結ぶ一帯には穏やかな生活感が醸し出されている。
――ここだ。ここにしよう。
さっそくスケッチブックとパステルを取り出して、その景色を紙に写し取りはじめる。
建物の輪郭をぼんやりと描き出し、陰影をつけて立体感を表す。指や筆でぼかして色をくすませ、ユトリロの画風を意識して重ために塗り重ねていく。ゴッホみたく空の一部をうねらせてもいいし、セザンヌみたいに余白を残したっていい。絵を描くことの自由を享受した私のパステルは軽やかにはねる。
――物語のキャラが勝手に動き出す。
よく小説家はそんな風に言ってたりするけど、それこそ私の視点で捉えた風景がひとりでに画面に浮かび上がってくるような…。
そうだ。心が浮き立つのを感じた私はそこではっきりと自覚する。
私は、絵を描きたかったのだ。
でも、私の実力じゃ描き続けていくことができない。同級生たちとのレベルの差をかつて痛感した私は、そう思って、思い込んで、思い詰めて油画科から空間デザイン科に転科した。
あるいは私が絵を描きたがっていたことを、教授は見抜いていたのだろうか――?

気がつけば、午後は二時間も過ぎていた。
お腹がまず鳴って、お腹が鳴ったということはお腹が減ったのだ。と、遅れて気がつく。
(あとは、ごはんを食べた後に仕上げよう)
スケッチブックを畳んだかわりに教授のパンフレットを広げて歩き出した私は、そこからほど近いところに目当ての店、純喫茶〈浪漫〉を探し当てる。
こんな時間になっちゃったけど、まだランチは食べられるだろうか――?
カラン、コロン。
ベルを鳴らして、住宅街の一角に佇む古びた喫茶店に入る。
エプロンをつけた白髪のマスターに、好きな席にどうぞ、と広げた手と目線で示されたので、私は窓際の席を選んだ。ちょうどお昼時が終わった頃合いだからか、お客さんは私だけだ。
カウンターの奥、壁際の棚にはコーヒー豆の入った瓶がぎっしりと並んでいる。やわらかな絨毯(じゅうたん)、こげ茶色のシックなテーブル、ピンク色の黒電話――(―だと黒じゃないか)――はまだ使えるようで、インベーダーゲームはありそうでない。
メニューには〈浪漫カリー〉に〈浪漫ブレンド〉と店の名前がついていて、私はカレーとコーヒーにサラダが付く〈浪漫セット〉を頼んだ。
すぐに運ばれてきた教授おすすめの〈カリーライス〉は、一口含んだだけでよく煮込まれていることがわかり、(当時と同じ味かはわからないけど)もう、文句なく美味しかった。でも、単純にその味以上に――(これも、そうだ)――私の心を揺さぶったものがある。
何と似ていたのかといえば、教授の描いたスケッチの〈懐かしさ〉だ。
うまく言葉にするのは難しいけど、この店にはきっと、この街の、この界隈の空気や雰囲気が染み込んでいて、その空気に馴染んだマスターの作るカレーの「味」と、かつてこの空気に染まったことのある教授の描くスケッチの「タッチ」に同じような〈味わい〉が滲む、みたいなことが起こるのかもしれない。そして、そのえも言われぬ〈味わい〉を、私は〈懐かしさ〉として受け取ってしまうのだ。

教授のことを思い出した私は、もうひとつの任務を遂行するべく、そろそろとマスターの立つカウンターに歩み寄る。
「あの、この年賀状の方に、教えてもらって来たんですけど」
眉間にしわを寄せて年賀葉書の差出人を覗き込んだマスターの眼差しが――ああ、この子か――柔らかく和む。
「店にはもう長いこと来てないんだけど、年賀状と暑中見舞いだけは毎年、律儀に送ってきてくれるんだよな。うちのが彼のことをかわいがってたからか、ね」
「奥様、ですか」
「ああ。去年、亡くしちまってね。年賀状なんかは女房に任せっきりだったもんで、情けないんだけど喪中の葉書さえ送れてないんだ」
私が申し訳なさを示す間を空けると、マスターがいくぶん朗らかな調子で続ける。
「年賀状が返って来ないのを不思議がって、お嬢ちゃんをここに寄越したってことかね」
マスターの言葉に――どうなんでしょう――私は苦笑いで首を傾げてみせるしかない。
当時は教授と親交があって、しかしそれから交信が途絶えて久しい方々との「橋渡し」役まで担うことになるなら、私もおいそれと迂闊(うかつ)なことは言えない。
「当時のことで、何か憶えていることはありますか」
ひとまず取っかかりだけでも、と尋ねてみると、マスターはそうだな、と今度は遠い目で壁を眺める。
「交際していた女性と、よく一緒に来てたと思うよ。かならずコーヒーをお代わりして、分厚くて重たそうな建築の本を二人でめくっていたな」
「交際していた女性」という耳ヨリな言葉と併せて、私は意味深げなキーワードをもうひとつ、頭の中に書き留めた。
――〈建築〉。

かとうかいと
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1986年、東京都生まれ。リベラルアーツを標榜する大学在学中に小説を書きはじめる。卒業後は国立大学付属美術館や私立大学図書館などで働きながら作品を書き溜めたのち、エンターテインメント団体Coochにおいて伊藤カカト名義で第一回連動企画作品〈推定容疑者〉シリーズに参加し、〈ミス・クリミノロジーの不埒な実験〉を上梓。その後も純文学やミステリー、ファンタジーなどジャンルに囚われない創作活動を続けている。web:https://note.mu/mekkemon2017

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