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第一図 「打診」

2016.12.16

――どうして、私なんですか?

決して、へそを曲げているわけではない。
ニュアンスに気をつけて私が聞き返した相手は、空間デザイン科の私が今学期から所属することになった〈街と景観〉ゼミの指導教諭、向山教授だ。
「…ゼミの自己紹介書(=ポートレート)に好きな絵を描かせる欄があっただろう?君はそこに、風景を描いていたよね」
(それだけ?)と少し拍子抜けした私だけど、それを口や顔には出したりはしない。
「もちろんほかにも風景を描いた生徒はいたから、描いたってだけでなく、あのパステル画もいいと思ってのことだよ」
教授はそう付け加える。
(腐っても美大生なんですから、あれくらいなら誰でも描けますって)
そう返そうかとも思ったけど、そのセリフもまたひねくれているような印象を与えかねないので、どういう風に答えようか迷っていたら、教授はさらに続ける。
「…淡い画風にも関わらず油絵っぽく執拗に塗り重ねていて…そうだな、たとえばユトリロなんかの影響を受けているのか、と思ったけれども」
ゼミ講座は今日がまだ二回目で、面と向かって話すのはこれが初めてだけど、教授は相手からの反応がない限り、途切れかけた話を継ぎ足し、継ぎ足しする形で続けることがよくわかった。講義での語り口と普段の話し方が混ざった結果なのかもしれない。
「えーと」私はようやく口を開く。「まず、ポートレートの絵ですけど、一応〈街と景観〉ゼミなので、主旨に沿ったものを描いたほうがいいのかな、と思って。あ、でも、だからといって、風景を題材に描かなかったゼミの子たちを当てこするつもりはありません」
不愛想には、そして理屈っぽくも聞こえないように私はきわめて朗らかに話す。
「あと、ユトリロは好きです。…でも、意識して描いたつもりはないので…そうですね、潜在的な影響があったのかもしれません」
あれ――?なんだか私にも教授の話し方がうつってしまっている気がする。
「なんだ、やっぱり好きなんだったか。そうか、そうか」
教授はどこか安堵したような感じを見せると、持ち上げたポットを私にかざして部屋を出ていってしまった。おそらく、給湯室にお湯を入れに行ったのだと思う。

さて、私がなぜ今、教授の研究室(=アトリエ)にいるかというと、今日のゼミ講座の最後に、私だけ「後で研究室に来るよう」告げられたからだ。
――何か悪いこと、したっけ?
身に覚えはないから、ゼミ生から私に関する変な噂でも耳に入ったか、でなければポートレートにマズいことでも書いてしまったか…とにかく嫌な予感を抱きながら教授との個人面談に臨んだ数分ほど前、私は思わぬ打診を受けたのだった。

・・数分前・・◇ 

「君に残ってもらったのは、君を見込んで頼みがあるからなんだ」
デザイン科の先生とあって、アトリエと呼ぶ割にイーゼルもパレットもキャンバスも見当たらない部屋に私を迎え入れると、教授は切り出した。
「はあ」
「引き受けてくれるかい」
「いえ、まず、どういうお話か、お聞きしないことには」
いささか前のめりの教授を諌めるにも、私はつっけんどんにならないように心がけた。
「それはそうだよね。そうだ、そうだ」教授は詠嘆調のセリフ回しで答える。「では、ズバリ言うね」
その宣言とは裏腹に、先生はゴホン、という大仰な咳払いで間を伸ばした。
「ある街が今、どんな風になっているか、君に見てきてほしいんだ」
――(どういうことですか?)
言葉としては発さずに、私は首をいくぶん傾けることで伺う。
「その街っていうのは、ボクが二十五歳くらいの頃に住んでいたところでね」
「…田舎の美術大学を出たばかりのボクは、その街にあった美術専門学校の助手をしながら暮らしてたんだ」
「…ここからだと、だいぶ郊外の街なんだけどね」
そう前置いた教授の口から出た街の名前は、少なくとも私には馴染みがなかった。
「ずっと気になってはいるんだけど、あれからずいぶんと行ってないんだ」
途切れ途切れに話がつながるために挟む余地がなかった疑念を――あの――私はそこで率直に告げる。
「それなら、先生ご自身で確かめに行かれればよいのでは?」
私のありきたりな質問に対してたっぷりの間を取った後で、教授はようやく答える。
「私には、その街に近寄りがたいわけがあってね」
――(どういうわけですか)
私は首の傾きの角度をさっきより深めた。
「君がこの〈仕事〉を引き受けてくれたら」教授は困ったように頭をかく。「自ずと知ることになるとも思うんだけれど」
「つまり」私は教授の言い分をまとめてみる。「その街を見てくれば、きっと先生の過去を垣間見ることにもなる、ということですね」
教授は意味深に見える苦笑を浮かべると、事務机に備え付けられた引き出しの奥からガサゴソと取り出したものを私に差し出す。
「これはね、ボクが何年か前に作った、その街のしおりみたいなものなんだけど」
受け取った私がバサバサと広げてみたそれは、自作の――観光地によく置いてあるガイドマップのような――パンフレットだった。
「これを君に…そうだな、そうだそうだ、今風に言うと、〈アップデート〉してもらいたくってね」
架空の、というよりは――それも今風にするなら――非公式の、という枕詞をつけたほうがいいだろうか。写真も説明書きもないパンフレットの表面には手書きの地図が描かれていて、裏面には地図中で☆や〇、△などの記号がつけられた場所のスケッチが貼られている。
(なんでだろう?)
手づくりの味わいにほだされたところは否定のしようもないけれど、それ以上に先生の思い出が投影されているからだろうか――?そのA5サイズほどの画用紙に描かれた風景画からは〈懐かしさ〉みたいなものが、ふわぁ、と香り立っていて、そこに行ったこともないはずの私がその〈懐かしさ〉を感じ取るや、自分でも驚くくらいその街に興味を抱いてしまった。
「昔は前衛的な建築も多かったし、とかく移ろいの絶えない街だったから、街の歴史や変遷も見えてくるだろうし、描くにあたっては構図や空間デザインの勉強にもなると思うんだ。どこに力点を置くかは任せるから、君なりの〈作品〉に仕上げてほしい」
「はあ…」
なんだか気恥ずかしいのもあって、おもしろそう、と思ってしまっていることを悟られないように素っ気ない相槌を打つ。
「時に千早さんは、カリーライスは好きかい」
教授はそこで唐突に話を――それに会話の間も――変えた。私を落としにかかっているのだ。私はそう直感する。
「カレーライスのことでいいですか?」わかりきっている返答をもらう前に私は続ける。「好きか嫌いかで言うと、大好きな部類に入ります」
「それならよかった」教授はにんまりと笑う。「とりあえず、僕が年賀状のやりとりをしている古き良き喫茶店を紹介するから、物は試し、最初はそこでおいしいランチでも食べるついでに、街の風景を軽くスケッチしてきてくれないかな」
…最終的に食べ物で釣ろうとされたような気がしないでもなかったけど、前向きな印象を持っていたからこそ私は勇気を出して教授に訊き返してみた。

――どうして、私なんですか?

かとうかいと
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1986年、東京都生まれ。リベラルアーツを標榜する大学在学中に小説を書きはじめる。卒業後は国立大学付属美術館や私立大学図書館などで働きながら作品を書き溜めたのち、エンターテインメント団体Coochにおいて伊藤カカト名義で第一回連動企画作品〈推定容疑者〉シリーズに参加し、〈ミス・クリミノロジーの不埒な実験〉を上梓。その後も純文学やミステリー、ファンタジーなどジャンルに囚われない創作活動を続けている。web:https://note.mu/mekkemon2017

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