大きく小さく「こども」を考える
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Vol.4 学び取られる「当たり前」

2016.09.29

みなさんは、加曽利貝塚博物館に行かれたことはありますでしょうか。ご存知の通り、貝塚とは、縄文時代の人々が食べた貝殻が堆積したものを指します。昔の人々の生活が見て取れる遺跡、ということです。千葉市の若葉区にある、加曽利貝塚博物館には、日本最大級、世界でも最大規模のそれがあるとのこと。わたしは別件で訪問したのですが、館長から余談として、そこにある貝塚についての話を伺うことができました。

加曽利貝塚博物館の敷地内に入ると、正面にある石碑の奥にある、多少盛り上がった木々の生えたスペースがあるのですが、それがもう貝塚とのこと。それは円状に半径150m程形成されており、なんと1,000年もの間集落として続いた場所だったと。そしてその隣には、その後更に1000年間程続いた、半径190m程の貝塚も。二つの貝塚は時代的に連続していたようで、実に2000年もの間、一つの場所で、しかも同じ様式で人が暮らし続けていたようなのです。今の私たちで考えると、キリストが誕生してから今くらいまで、ずっと同じ生活様式が続いていたことになります。日本の歴史で思い返してみても、飛鳥時代、鎌倉時代、江戸時代、明治時代、そして昭和平成と、それらが全て入るだけの長さ、生活様式が変わらないことになる。ちょっと想像できないですよね。

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加曽利貝塚博物館の石碑。奥の盛り上がった部分は全て貝塚とのこと(写真:http://www.jalan.net/kankou/spt_12104cc3290030103/

さて、貝塚の存在した縄文時代の人々は、狩猟・採取により暮らしの糧を得ていたとされています。この暮らしでは、その後の弥生時代の農耕文化と違い、蓄財されるほどの余剰の食べ物が得られるような生活ではありません。縄文時代の人々は、どうやらそれを皆で分け合い助け合っていたようで、それを取り合うような争いは生じていなかったようなのです。それは、埋葬された人の姿から判明するとのこと。屈葬、伸展葬と、埋葬のされ方は色々とあったようですが、その時代の遺体には、戦いによってできたような傷が、ない(弥生時代になると、首のない遺体などが出てきて、争いのあった形跡が認められるとのこと)。これは老若男女問わず共通しているようで、障害を抱えていたであろう人に関しても、助け合いながら、当時で20歳過ぎまで生きることができていたようなのです。しかもそれがなんと1万2千年もの間続いていた。

館長の話によれば、分かち合い、助け合うことが当たり前にあるのが縄文時代の人々の暮らしだった。つまり、人間には争わないでいることが、どうやらできたらしい。歴史を学んでも現代のニュースを見てみても、人同士の争いが幾たびも問題となっているのに、当時はそんなことが問題になっていなかった、かもしれない。これは本当に驚きでした。もしそうだったとすれば、それが当時の人々にとっては普通なことなんでしょうし、その集落のこどももきっと、同じように振舞っていくのでしょう。そして、その暮らしが仮に快適なものであったとしたら、生活様式や振る舞いを敢えて変える必要もない。そのようにして、この時代は、1万2千年もの間、脈々と続いていたのかもしれません。

現代社会に生きるわたしたちが縄文時代の頃のような暮らしをすれば争いがなくなるのでしょうか、というような社会システム関連の荒唐無稽な問題提起はちょっと脇に置かせていただいて。この話を伺ったとき、わたしの頭に浮かんだのは、「当たり前」の重要性、でした。どのような「環境」で生きるかが、人間にとって非常に重要なのではないか、ということです。

どうやら縄文時代は争いがなかった、ということらしい。また調べてみると、そもそも「戦いは人間の本質ではなかった」という研究結果も得られているそうです。ということは、「争い」というものが、人間に元々プログラムされていなかった、かもしれない。とすれば、あとは争いというものを、自分の置かれた環境から「学び取る」ような機会がなかったとしたら。極端に言えば、争うということを文字通り「知らない」で生きることができるのではないか。

私事ですが、わたしは先日入籍をいたしまして、来年にはこどもも生まれてくる予定です。もともと「教育」関連の領域には興味を持っていたのですが、改めてこどもについて考えるようになってきました。こどもたちにどのような機会を提供するのか、親御さんたちは色々頭を悩ませていることと思います。わたし自身も、先のようなことを考え出すとなおのこと、こどもたちに対してどのような機会、そして環境を提供するかに強い関心を抱かざるをえません。

赤ちゃんは最初話すことはできませんし、遊んだり、勉強したり、仕事をしたりもしません。争ったり人を殺したりするかといえば、もちろんそんなことはしない、ですよね。わたしたちもそうだったと思いますし、自分たちの親やその親、先祖もそうだったと思うのですが、自分たちが生きる社会、置かれた環境から、言語や価値観など、様々なものを「学び取って」、どんどん人間として振る舞うようになっていきます。日本に生まれれば日本語を話すようになりますし、ピアノを習えばピアノができるようになる。学校へ行って読み書き計算を習えば、それらを理解するようになる。本当に日々の積み重ねで様々なものを吸収し、人間社会におけるその人の人となりが形成されていくんだろうなと思います。

こどもたちにとって、最初に触れる「環境」であり、「学習機会」となるものはそれこそ親や家庭、ということになります。こどもたちの人となり、そして彼らにとっての「当たり前」を形成する源泉です。こどもたちは、もちろん親とは別の人格を持っている、と思います。ですが、それをどのように表出して、社会と関わっていくのかは、それこそ彼らの置かれた「環境」である親や家庭から学び得た内容により、多少なりとも形成されていく。親の使う言葉の端々、雰囲気、在り方、接し方によって、こどもたちにとっての「当たり前」が学び取られ、もともと持っていたと思われる人格とも相まって、振る舞いや人となりが決まってくる、のでしょう。それこそ、どんな概念(例えば「争い」)が社会にあるのかを、最初に教えるのは親、ということになるのだと思います。

自分が人の親になる、ということは、その子の最初の「環境」を担うことに他ならない。つまり、自分がこどもに提供することになる「当たり前」から、少なくとも何かを学び取って、彼彼女は社会に出て行くことになる。そして、社会そのものを構成する一人になっていくわけです。社会という「環境」そのもの、今の世の中の在り方をどう変えていけば良いのか、ということになってしまうと、問題が大き過ぎて正直よくわかりません。ですが、せめてわたし個人、そして家庭においては、「争い」や「戦い」というような概念を含む「当たり前」よりも、「分かち合って」「助け合う」ような、「楽しく」「幸せ」な方の「当たり前」を提供できるようになりたいな、と思いを馳せる次第です。

こどもが関心事の中心になると、どうしてもそれに引きつけて物を考えてしまいますね。一方、そのお陰で自分の身の回りの物事の見え方も変わっていきそうで、楽しみな気もします。生まれる前から色々考えさせてくれる、そんなこどもの誕生を心待ちにしつつ、また何かしら思い浮かんだことを書いていこうと思います。

三瓶 伊万里
三瓶 伊万里 | 記事一覧

1984年、福島県生まれ。大学がリベラルアーツを標榜することから、所属は教育学科ながら、他領域の学問にも自由に触れる経験をする。07年に住友商事(株)に入社、鉄鋼事業に従事する。サラリーマンとしての暮らしの在り方に疑問を持ち始め、まちづくりに携わりたいという想いを強くする中、同社を12年に退社。同年(株)北山創造研究所に入社する。14年には同社を退社、現在は新たな社会の在り方を研究しながら、実践の可能性を模索している。

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