生活実験家の暮らしの「なんでだろう」
kurashi1

vol.1 「生きる」ってなんだろう。

2016.08.03

■大学時代に浮かんだ大きな「?」

「生きる」ってなんだろう。誰でも一度はそんなことを考えたりするのでしょうか。私がこの疑問にはじめて出会ったのは、大学4年生の時でした。
それまで人並みに楽しいことも嫌なこともあった普通の人生を送ってきた私。何かを決断するときはいつも「なにがやりたいか」を自分に問えば、自然と進む先が見えてきた。
しかし、大学4年の夏、「なにがやりたいか」を問うだけでは答えが出ない問題に直面したのです。
大学で建築学科に入学した私は、当初から、4年後は大学院に進んで、その後は建築を設計する仕事に就こうと、漠然と考えていました。なので、学部生時代は就活もせず。あっという間に4年生になり、大学院入試の願書を提出する季節になりました。願書をもらいに行った日の夜、さっそく必要事項を記入しようとした時、「あれ?」っと手が止まった。なにがおかしかったって、ぜんぜんワクワクしない。大学院に進むって、自分の「やりたいこと」なはずなのに。
それからしばらく、進路について悩みました。自分は何になりたくて、どこでどんなふうに働きたくて、どのくらい稼ぎが欲しいのだろうか。就職するの?まだ何かの勉強を続けるの?そもそも、働くってなに?仕事ってなに?大人になるってどういうこと?生きるってこんなにも大変なことだなんて知らなかったよ、、、。そうやって私の中に止めどなく疑問が湧き続けた末、ついに行き着いたのは「私、なんのために生きてるんだろう。『生きる』ってなんだ?」。今まで22年間、そんなこと考えずに済んだのは、目の前に進むべき道が見えていて、選択する必要に迫られたことがなかったからでした。その道はまわりにいる友だちたちも一緒で、自分が決めるべきことは、どの大学に行くとか、何学部の何学科に行くとか、今思えばほんの小さなことでした。自分で自分の道を選んでいるつもりでいたけれど、それは「大学へ行くべき」という無意識のうちにひかれたレールの上を歩いているだけだったのです。

■「生きる」ことは「選択する」こと?

この社会で生きていくのに必要な「選択」は、自分が想像していた以上に、もっともっと大きな責任と、覚悟を伴うものだと痛感しました。そして、その「選択をする」という行為を積み重ねて、はじめてひとりの大人になれるのだと。「生きる」って、なにかを「選択する」ってことなんじゃないかな。
これはきっと、世界中の誰にでも共通することではないと思います。「選択する」権利など与えられず、「命を守る」のに必死な人たちもいる。きっと昔の女性たちもそうだったのでしょう。なんのために生きているのかなんて考える暇がないくらい、女としてやるべきことに追われていたかもしれません。
しかし、今私が生きている社会はそれとは違います。選択肢が無数にあって、好きなように選んでいいと言われるのがこんなにも大変だなんて思ってもみなかったけれど、(きっと同じような思いをしている若者はいっぱいいるんじゃないかな。)それはきっと幸せな悩みだと思います。「選択する」なら、どんなふうに生きたいか。私の答えは一つでした。毎日楽しく生きたい。

■「楽しく生きる」って難しい!?

人生の目標は決まった。毎日楽しく生きよう。そのために必要なものは?欲しいと思うものは山程あるけれど、どれも手に入れたら、私はきっとすぐに次が欲しくなる。
そんなモノたちよりも、きっと楽しい人生に必要なのは、どんなことでも自分が自由に「選択」できて、あたりまえの日々の暮らしが充実していて、満たされていることなのではないかと思いました。私の人生には、一回の特別な体験、特別な買い物よりも、(そういうものが必要ないわけではない。欲張りだけど笑)、暮らしの質を大切にしたい。
そう思うようになってから、私の興味はもっぱら「暮らし」。朝起きて、一日の間に、何をどんなふうにして、なにを感じて、眠るとき何を思うか。
そう思って毎日生活してみると、自分の生活の中で、もっとこんなことしたい、こんなふうになって欲しいと、何かを「選択する」場面の多くで、私たちは知らないうちに何かのコントロール下にいることに気がつきました。私は、人間という生き物で、女という性別で、地球の、日本という国の、千葉県千葉市というところに暮らしていて、そこにはたくさんのルールがあって、毎日はきっかり24時間で、1日生きるために必要な食べ物の量も、睡眠の量も、金額も、だいたい決まっていて、ほぼ毎日少なくとも1人の人間とは接する機会がやってきて、無意識のうちに無数の情報に触れている。客観的に自分の生活を見てみると、まるで外から様々な圧力がかかって、大きな波に飲み込まれそうみたい。自分で踏ん張るのをやめると、知らぬ間に、自分以外の何かに都合のいい場所へと追いやられている感じ。選びたくない選択肢を選ばなくてはいけない状況に陥ることもあります。自由な選択をするって、思ったより難しいと知りました。
自分のしたい選択を選んだり、選べる選択肢を増やしたりして、この世界の中で自然に楽しく暮らしていくためには、どうやらたくさんの知恵やスキルや広い視野、つまり自分自身の「生きる力」が必要なようです。様々な「生きる力」についてのお話はまた今度にすることにしましょう。

■実験しながら暮らしてみる

日々の暮らしの中でふっと湧いてくる「これってなんでだろう」「もっとこんなふうにできないかな」という小さな疑問たち。そんな疑問に1つずつ丁寧に向き合い、少し深く考えてみる。そこから「もしかしてこうなんじゃないか」「こんなふうにしてみたらどうだろうか」という自分なりの小さな仮説を立ててみる。そして、その仮説を自分でやってみる。やってみて、失敗して、またやってみて。そうやって少しずつ色んな「生きる力」を吸収していったら、いつかは今よりも自由で、自然で、楽しい暮らしを手に入れられるんじゃないかな。私はそんなふうに生きてみることにしました。だから私の肩書は、「生活実験家」。自分自身の毎日の生活が小さな実験の積み重ねなのです。そして、そんな実験に地域の人々を巻き込んでしまえ!と始めたのが、「HELLO GARDEN」です。
このコラムでは、そんな日々の「なんでだろう」をみんなにシェアして、みんなと一緒に考えていこうと思います。私の仮説はあくまでも「仮説」。きっとこれから出てくる無数の「なんでだろう」に正解なんてないんじゃないかな。こんな仮説もありなんじゃないか、私なら、僕なら、こう考える。そんなことを議論して、その中からお互いヒントをもらったり、違う意見だって認め合ったりしていたら、知らず知らずのうちにみんな今よりもっと楽しい暮らしに近づける気がするのです。
私がここに記していく「仮説」はあくまでも「私」の仮説。これが正解だなんて思っていません。正直、自分でも疑っているし、迷っています(笑)なので、ぜひみなさんの仮説も遠慮なくどんどん教えていただけたら嬉しいです。みなさんにとって、「生きる」ってなんですか?
このコラムが、みんなの暮らしが楽しくなるために、そしてこれからの社会がもっと楽しくなるために、少しでも役立つことを祈って。

西山 芽衣
西山 芽衣 | 記事一覧

1989年、群馬県生まれ。大学で建築を学ぶ中で人の暮らしに興味を持ち、(株)北山創造研究所でまちづくりなどに携わる。2014年同社を退社後、大学時代から暮らす西千葉で、自らの生活を実験台として新たな生活の在り方を模索している。衣食住、政治、経済、教育など、日々の暮らしの中で生まれる「なんでだろう?」や「こうなったらいいのに」を出発点に、自分たちの手で暮らしを変えていく実験に人々を巻き込み中。都市の中で自然に楽しく生きること、もっと楽しい社会を次の世代に引き継いでいくことを目指す。 facebook: https://www.facebook.com/MeiNishiyama  instagram: https://www.instagram.com/xxx_mei_xxx/  web: http://harapecolab.jp/

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